●イタリアンってなに??

    自家製太麺とキャベツ・もやしを特製ソースで炒め、粉チーズで味付け。
    白生姜(紅生姜じゃないのがミソ) を添え、特製トマトソースをかけて提供しています。  
    初めて見る人は「なに、これ?」って思うかも・・・               
    匂いは焼そば、歯ごたえは焼きうどん・・・といったところでしょうか?
    なぜかトマトソースが合うんですよ。
    フォークで食べるのもおもしろいでしょ?

    他にも定番ではカレーソース・ホワイトソースがあり、季節によって別バージョンが出ます。
              
    毎日食べても飽きない味・・・という点でも、「イタリアン」かもしれませんね。
    (イタリア料理って、毎日食べても飽きないそうですから。)

●イタリアンのトマトソースについて

    イタリアンの上にかかってるトマトソースを、「ケチャップ」だと思っている方がいらっしゃるみたいなので少しご説明させていただきます。

    あのトマトソースは「ケチャップ」ではありません。
    たしかに材料の中にケチャップは入っていますが、300kg作る内の1kg 程度しか使っていないのです。ほとんど隠し味ですね。

    イタリアンのトマトソースの主な材料は「トマトペースト」です。(トマトペーストとはトマトを裏ごししたものです。)
    では、あの甘味は何なのか・・・それは玉葱をじっくりと炒めた<甘さ>なのです。

 

●イタリアンの誕生秘話 

    昭和34年、箱根の「商業会セミナー」に参加していた三日月晴三(現会長)は東京の京橋でご商売されていた繁盛店の中バシさんに「帰省の前にウチに寄っていけ」と誘われました。

    中バシさんは 「甘すぎて申し訳ありません」という当時有名なキャッチ・コピーで甘味処を経営されていました。この方がお店で軽食を始められ、関西のお好み焼屋でお客が自分で焼くという伝統的スタイルを、店員が焼いてお客様に提供するという関東ニーズにあわせた方法に変え、提供し商売をしていました。

    当時三日月は甘味喫茶で、主力商品は 「あんみつ」「アズキアイス」「関東煮=カントダキ」(おでん)などであり(特に当時のおでんは赤ちょうちんでしか食べられないもので、女性は気軽に食べられるものではなかったので人気があったようです)軽食も始めようと考えていた時に中バシさんに見学させていただいたのでした。

    その頃、東京の浅草・田原町の付近でも「ソース焼きそば」が流行していて、そこで会長は箸で食べるという点を『フォークで粉チーズをかけて』提供する スパゲティ風でおしゃれなスタイルのまったくオリジナルの「やきそばイタリアン」を考えだしまし
    た。

    小判型の皿に紅生姜ではなく白生姜を添えて提供、 名称はスパゲティ=イタリアンのイメージでネーミングしました。昭和35年当時、ラーメン1杯70円のところ、イタリアン1杯80円で販売していました。
    売り始めてから幸いにもすぐにお客様の支持を得ることができ「バザー・文化祭」にご利用頂いたことが今日に至るきっかけになったと思われます。
    漢字の「三日月」から「みかづき」に社名変更したのは昭和47年です。

    長岡の「フレンド」さんと「みかづき」の会長が友人だったことや、「中バシ」さんのところへ見学に出かけた関係上同様な仕様・名称になっていますが、もちろん販売はこちらが早くに行っていました。

       

●フレンドさんとみかづき

(下記の文は弊社会長から聞いた話をもとにしています)
盟友フレンドさんとみかづきの関係について

写真はペリカンクラブ様より

    フレンドさんの会長・*木村政雄氏(きぃさん)と弊社会長・三日月晴三(みかさん)とが初めて知り合ったのは昭和三十二年頃、商業界のセミナーで場所は箱根湯本。 *倉本主幹の教えを深夜まで受け下駄の音を響かせながら宿に帰った。
    その頃は主幹講議の後 それぞれの業種ごとに部会となって色々な議論が されていた。
    当時は飲食店者の参加者は少なく、菓子部会に混ぜてもらい車座になって 弁説爽やかな他の方の体験談を聞いているばかりであった。

    そんなある時に 車座の部会に誰かが持参してきたウイスキーの瓶が回ってきたので、木村さんとの間
    に暫く止め置いて半分以上も空けてから 『雪国で引っ込み思案のおれ達にも喋らせてくれ』と発言し、ようやく仲間と認知され二人は友情をあたためていったのです。

    昭和四十二年頃に何度かあった「飲食店チェーン化」チームの米国視察の旅で 、ハンバーガーばかり日に15個以上も試食したりしてシステムの勉強をした。 外国の事など何も知らない三日月は木村さんだけが頼りでした。

    また市場視察レポートを書くため 夜間に店舗の見学に出てタクシー移動をくり返していた時、二人で拾ったタクシーに乗ったら雲を衝くような大男の 黒人運転手で、行き先の宿『ダウンタウン・ホリデーイン』の発音が小さいと 何度も大声で言い直され、密室でもあり恐い思いをしたことなど思い出は尽きない。

    このような友好な関係は今でも変わっておりません。

『参考』

*倉本長治(故人)商業界主幹 戦後の混乱期に荒廃し針路を見失った商人に 在るべき道筋を説いた商業の父とも言える方。
今日の大規模小売業の大多数が この陶酔を受けたものと思われる。

*木村政雄氏(故人)フレンドさん会長。

 

●おまけ


これは幻の「イタリアンチケット」です。(笑)
社員でもなかなか手に入れられません。
これをもらえる人は「バザーの手伝いをしてくれた方」だけ?


 

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